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2022-04-03

本隊vs維新軍全面戦争で企画されたシングル綱引きマッチ&勝ち抜き戦! 新日本プロレス歴史街道50年(36)【週刊プロレス】

綱引きをする本隊勢

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 長州力が起こした“噛ませ犬事件”は、単に藤波辰巳(当時)への反乱にとどまらず、マサ斎藤、アニマル浜口、キラー・カーン、谷津嘉章、小林邦昭をも取り込んで維新軍を結成、新日本プロレス本隊と抗争を繰り広げるまでに戦火は拡大。長州のターゲットも藤波からアントニオ猪木に移り、ビッグマッチのメインを任せられる闘い模様となっていった。猪木vsはぐれ国際軍の抗争と異なる点は、その陣容から全面戦争がマッチメークできたこと。そこでは様々なルールが採用された。

 次第に熱を帯びていった軍団抗争は、単に個別の対決で終わらなくなっていった。そこで全面戦争を企画され、総力戦で雌雄を決しようとなった。いうなればチーム戦。その第1弾が83年11月3日、蔵前国技館でおこなわれた。この時、採用されたのが“綱引きマッチ”。

 両軍から4選手が参加してシングル4試合をおこなう。通算の勝利数で勝負を決めるのだが、事前にカードは発表せず、当日、リングに4本の綱を置き、互いに引っ張って対戦相手を決めるという趣向。結果、坂口征二vsアニマル浜口、藤波辰巳vsキラー・カーン、前田日明vs長州力、アントニオ猪木vs谷津嘉章に決定。2勝1敗1分で維新軍が勝利した。

 第2弾として翌84年4月19日、蔵前国技館でおこなわれたのが5対5勝ち抜き戦。出場順を決めてシングルマッチをおこない、勝者はそのまま次の相手を迎え撃つ。相手チームの5選手の試合権利を奪ったチームが勝利というもの。

 どの順番で選手を起用するのか、戦略も問われる。維新軍が小林邦昭、寺西勇、谷津、浜口、長州と順当だったのに比べ、本隊は先鋒に藤波を起用。発表された瞬間、会場は大歓声に包まれた。その後、次鋒=高田伸彦(当時)、中堅=木村健吾(当時)、副将=藤原喜明、大将=猪木と続いた。

 副将対決で藤原が浜口と場外心中。ここで維新軍結成以来初となる猪木vs長州が実現。猪木の卍固めが決まるも、長州はギブアップせず。最後はミスター高橋レフェリーが試合をストップ。猪木が勝利したことで、両軍の全面戦争は一応の決着がついたかに思われた。

 この先、闘い模様は全面戦争から長州vs藤波、長州vs猪木の個人闘争に様変わり。それはまるでなにかに駆り立てられるかのように、決着を急ぐようにも見えた。
(つづく)

橋爪哲也

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