師匠のことを、陰で「オヤジ」と呼ぶ力士が多いようです。そのほうが親しみを込めやすいんでしょう。では、実のオヤジはどうでしょうか。同じ男同士。中には、父から相撲の手ほどきを受けた者も多く、父の背中を見て育ち、尊敬し、慕っている力士はそれこそ枚挙にいとまはない。前回は母を取り上げたので、今回は父にまつわるエピソードを取り上げましょう。
酒を断った父最近は脱サラや大学卒の新弟子が増え、入門年齢も上がったが、かつては中学を卒業する前に親元を離れ、入門する力士も少なくなかった。21歳2カ月という史上最年少で横綱に昇進した北の湖も、中学1年、12歳のとき、北海道から上京して三保ケ関部屋に入門。三保ケ関部屋から両国中学に通学した。同期生には大錦(小結)らがいる。
“壮瞥町に怪童あり”と騒がれ、多くの部屋がスカウトの手を伸ばしたが、北の湖が三保ケ関部屋を選ぶ決め手になったのは、いち早く名乗りをあげた三保ケ関部屋のおかみさんが贈った毛糸の靴下だった。北の湖はこの靴下に、どんな褒め言葉や将来の口約束よりも誠意を感じたのだ。
と言っても、まだホンの子供だ。北の湖が故郷をあとにするとき、父親の小畑勇三さんはこう言って送り出した。
「いいか、どんな苦しいことがあっても、弱音を吐いちゃダメだ。がんばれ。お前が立派な力士になるまで、オレもお前と同じ苦労をする」
この日を境に、勇三さんは大好きな酒をプッツリ断った。酒断ちである。北の湖が17歳11カ月で十両昇進、20歳8カ月で大関になるなど、当時の最年少記録を次々に破って出世していった裏には、父親の無言の愛が隠されていた。
月刊『相撲』平成23年6月号掲載