師匠のことを、陰で「オヤジ」と呼ぶ力士が多いようです。そのほうが親しみを込めやすいんでしょう。では、実のオヤジはどうでしょうか。同じ男同士。中には、父から相撲の手ほどきを受けた者も多く、父の背中を見て育ち、尊敬し、慕っている力士はそれこそ枚挙にいとまはない。前回は母を取り上げたので、今回は父にまつわるエピソードを取り上げましょう。
「供養の正月稽古」自分の息子3人を自分の弟子にし、いずれも関取に育てた先々代の井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)は、
「何かあったら、まず自分の息子から殴る」
というハードな指導法を貫いた。こうしたから、3人とも関取になったとも言える。この先々代井筒が敗血症のためになくなったのは平成18(2006)年5月29日。77歳だった。
稽古、稽古の相撲部屋だが、1月1日の正月だけはほとんどの部屋が稽古休みだ。中には翌2日も休む部屋だったある。井筒3兄弟の末弟、錣山親方(元関脇寺尾)にとって平成19年の正月は父の喪中だった。そのため、正月のお祝いごとはいっさい取りやめたが、一つだけやったことがある。この日、錣山部屋は稽古休みを返上し、いつものように力士全員が廻しを締めて土俵に降り、稽古で汗を流したのだ。
「先代は稽古にうるさい人でした。ズル休みしようものなら、もう大変。こうやって、みんなで稽古することが先代の一番の供養ですから」
と錣山親方はこの異例の正月稽古について話している。喪中につき、正月も稽古。二世力士ならではの親孝行だった。
月刊『相撲』平成23年6月号掲載