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2022-06-10

一時はアントニオ猪木が新日本の発展的解消を発表…未遂に終わった坂口征二との新団体設立【週刊プロレス昔話】

アントニオ猪木と坂口征二

1973年2月8日、新日本プロレスのアントニオ猪木と日本プロレスの坂口征二が東京・新宿の京王プラザホテルで記者会見をおこない、新団体設立に向けて動いていることを明かした。

「新日本プロレスを発展的解消し、日本プロレスから坂口以下11人のレスラーが出て、新会社を作り、この2者が合同して3月中旬をメドに新発足したい」

日本プロレスは1972年7月末でジャイアント馬場が退団し、10月に全日本プロレスを旗揚げ。坂口、大木金太郎、吉村道明らが看板選手となったが、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列の放映料を最大の収入源とするようになってから経営難に陥っていた。

一方の新日本プロレスも収入面でテレビ放映がなければやっていけない状況。結果的に日本プロレス側の反発に遭って実現はならなかったが、もし猪木と坂口で新団体設立して新日本プロレスが崩壊していれば、プロレス史は大きく変わっていただろう。

結局、坂口は小沢正志らとともに1973年4月に新日本プロレスに移籍。NETテレビでの中継「ワールドプロレスリング」が開始となった。

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