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2022-09-01

デビュー3年目で4冠王者・小島聡相手に60分フルタイム!“選ばれし神の子”中邑真輔…新日本プロレス歴史街道50年(55)【週刊プロレス】

小島聡vs中邑真輔

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永田裕志vs中西学の60分フルタイムから2年後、またしてもIWGPヘビー級王座をめぐっての闘いで60分フルタイムの激闘が繰り広げられた。その主役は小島聡と中邑真輔。

しかしファンの印象に残ってるのは、その34日前におこなわれた天山広吉vs小島聡、史上初のIWGPヘビー級と三冠ヘビー級のダブルタイトル戦。天山が脱水症状から動けなくなり、タイムアップまであと15秒というところでカウント10が数えられた。両老舗団体の至宝を手にしての4冠王はもちろん日本マット初の快挙だったが、奪回に立ち上がったのが中邑だった。

     ◇      ◇      ◇

天山広吉vs小島聡がおこなわれた2005年2月20日の4日前、小島は川田を破って三冠ヘビー級王者となった。その結果、ともに至宝がかけられる史上初のダブルタイトル戦に。

若手時代からのテンコジ物語も含めて何枚もの注目度が重なっての対決。そこまでしないといけなかったのは、K-1やPRIDEといった格闘技の猛威にされされていたのに加え、歴史からすればまだ新興団体でしかないNOAHにプロレス界の盟主の座を奪われていた背景がある。

しかも当時のNOAHは、小橋建太がGHCヘビー級王座を保持して命を削るような激闘を展開。格闘技とは異なるプロレスの凄さを満天下に見せつけていた“絶対王者”時代。何枚も看板を重ねて話題性を引き上げる必要性があった。

それに衝撃の結末が加わった。誰もが時間切れやむなしと思った残り15秒で、天山が動けなくなったのだ。第1回IWGP決勝戦でアントニオ猪木が“舌出し失神”したのを思わせるシーンだった。

この幕切れに納得がいかない小島は、IWGPヘビー級のベルトをリングに投げ捨ててリングを下りた。これに怒った新日本勢は小島の控室に殴り込む。至宝奪回は当然の指名だが、黙ってその日を待ってられなかったのが中邑真輔だった。

いったんはトーナメントで第一挑戦者を決めると発表した新日本だったが、「それでは遅すぎる」と立ち上がった中邑は、全日本の会場にまで乗り込んで挑戦をアピール。その行動力を評価して、新日本は中邑にすべてを託した。

そして迎えた2005年3月26日、両国国技館。中邑のコーナーには棚橋弘至の姿も見えた。複雑な心境だったろうが、“お家の一大事”とあってはライバルを応援せざるを得ず。

新日本の期待を一身に背負って出撃した中邑は、序盤から関節技を惜しげもなく繰り出して積極的に攻撃。一方の小島は、前年6月にスタン・ハンセンから直接指導を受けて一撃必殺の必殺技に昇華させたラリアットをぶち込むチャンスをうかがう展開。

中邑の打撃と腕十字、トライアングルチョーク(三角絞め)、スープレックスを浴びながらも耐え抜いた小島が終盤にラリアットを叩き込んだものの、中邑はカウント3を許さず。無情にも60分タイムアップのゴングが鳴り響いた。

この時点で中邑は、すでに史上最年少としてIWGPヘビー級王座を獲得していたものの、まだ背伸びをしていた感は否めず。ボマイェ(キンシャサ)開発には至っておらず。総合格闘技でも結果を残して凱旋したものの、プロレスのリングでそのテクニックをまだ生かし切れていない途上の時期だった。それでもデビュー3年目でありながらシングルマッチで60分フルタイムを闘い抜いたのは、“選ばれし神の子”ならではといえよう。

橋爪哲也

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