大晦日。史上最速4階級制覇を狙う田中恒成(25歳=畑中)を会心の8回TKOで仕留め、2度目の防衛に成功したWBO世界スーパーフライ級チャンピオン井岡一翔(31歳=Ambition)。「ボクシングの教科書」、「精密機械」と称される彼のボクシングは、いかにして築き上げられたのか。ベールに包まれることの多いトレーニングだが、その一端が、1年前、報道陣に披露されている。2019年12月27日の公開練習の姿を、いま一度振り返りたい。
1ラウンド3分。井岡が動いたのは、軽いシャドーボクシングをした、たったそれだけの時間である。が、たかが1ラウンドと思うなかれ。その180秒に、彼のボクシングがたっぷりと溢れ出していたからだ。
東京農業大学時代の先輩、佐々木修平トレーナーの肩を借りてストレッチ
腕、肩、胸のストレッチに始まり、下半身をほぐす。股関節と腹筋を意識し、骨盤を利かしてパンチを軽く下に打つ。ここまでがアップだ。
股関節を意識して、下半身のストレッチ
腹筋と骨盤を意識して、下に向けてパンチを放つ
ゆったりと、スローに、リング内を動き始める。ヒザと足裏を非常に繊細に駆使して、上体を動かす。肩を動かす。頭を動かす。パンチを打つではなく、腕を伸ばす程度。だが、下半身との連動を意識したもの。いや、すでに無意識に連動しているレベルだ。
前後動作を後ろから。足裏の使い方、バランスの取り方がおわかりいただけるだろうか
下半身と上半身の連動だけではない。軸となる右足と、前足(左足)の連動が実にスムーズだ。つまり、重心の移動が滑らかで、バランスが決して乱れない。
リング内をすいすいと水平移動していく
移動は前後左右だけではない。まるでダンスでも踊るかのように、右斜め前45度、左斜め前45度、またはその逆のステップバックと、緻密な足さばきで移動していく。角度は45度に限らず。その折々で微妙に変化していく。二桁ではなく、数センチ単位で。もう、体のどこをどう機能させれば、そのわずかな距離を無駄なく移動していけるのか、体が覚えこんでいる。これに得意の左ジャブが加わって、相手に打たれず、自分だけが打つ空間を築いていくのだ。
足の裏のどの部分でもバランスを取れる。イスマエル・サラス・トレーナーと長年、細かいステップを鍛錬してきたおかげで、見事なバランス感覚が身に着いた
決してド派手な跳躍やフットワークをするわけではない。一切の無駄を省いて、距離をつくる。まさに「精密機械」の印象だ。
ジェイビエール・シントロン(プエルトリコ)との初防衛戦は、長身で懐が深く、リズムが不規則の挑戦者に序盤こそ手を焼いたものの、距離を詰めていきボディ攻撃で攻略してみせた。そして2020年、新型コロナウイルスによるパンデミックが起きる中、井岡一翔は新たな試みを始めた。
「2月か3月くらいから、ピラティスを始めたんです」
体幹やインナーマッスルを鍛えるものとして、世界に浸透するエクササイズという印象が強いが、「頭と体を連動させる。体の表面だけでなく、内側の動きも意識してやる。ボクシングに限らず、何にでも通じるものなんです」と井岡は説明する。そして、「体の内側のことなので、これという言い方はできませんが、ボクシングの動きをしていて、いい動きにつながっています」とその効果を実感している。
「彼はまだ若い。残りのボクシング生活がそんなに長くない僕とは違い、彼にはまだまだ未来がある。この先、日本ボクシング界を引っ張っていく存在になるはずです」と、田中恒成にエールを贈る。
だが、井岡自身、まだまだ着実に“進化”を遂げている。1度は引退したものの、“やり残したこと”があった。それを成就させるために舞い戻ってきたのだ。
われわれには完璧と思えるそのボクシング。念願をかなえるためには、その完成形を装備し臨みたい。だから井岡一翔は歩みを止めない。
文&写真_本間 暁
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