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2023-10-17

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第20回「拒否(ノー)」その1 

大関陥落1場所目、千秋楽で10勝目を挙げ大関復帰を決めた武双山

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“生き馬の目を抜く”というなんともおどろおどろしい表現がありますが、そんな油断もスキもない勝負の世界で生き抜くのは大変なことです。
中途半端な気持ちは、まずダメ。
時には、たとえ周りがなんと言おうと、嫌なことには嫌、ときっぱりクビを横に振って拒否する意地と勇気が必要です。
もっとも、拒否の仕方、方法も色々、様々。
ノーが通りにくい世界で、どうしてあのとき、あの力士はノーと言ったのか。
これはそんなエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

元大関の矜持

平成24(2012)年春場所後、鶴竜が昇進して史上最多の6大関が誕生。この場所、華やかな話題を振りまいたが、大関の座を射止めるのは大変なことだ。それをまざまざと見せつけたのが平成12年春場所後、大関に昇進した武双山(現藤島親方)だった。

アマ横綱のタイトルを手土産に入門。“平成の怪物”と呼ばれ、末は大関、横綱と期待されたが、肩や腰、足など、相次ぐケガに泣かされ、大関にたどり着いたのは実に新入幕から40場所後のことだった。

さらに、その大関の座を掴み取った春場所で持病の腰痛を悪化させ、新大関の夏場所は全休。カド番の名古屋場所も4勝しかできず、たった2場所で大関から陥落した。2場所で大関の座を明け渡すのは五ツ嶋以来、59年ぶりのことだった。大関に昇進した代償は決して小さくなかったのだ。

「応援してくれる人たちを裏切ってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです」

と支度部屋の隅で小さくなっていた武双山を思い出すが、次の秋場所、1回の治療代が30万円もするレーザー治療を受けるなど、懸命の治療が功を奏し、10勝して1場所で大関復帰を決めた。

その10勝目を挙げたのは千秋楽の西前頭6枚目の琴ノ若(現佐渡ケ嶽親方)戦。頭から当たって真っ向微塵の押しでプレッシャーのかかる大一番を制した武双山は、

「思い切りいって、負けたらしょうがないと思い、集中していきました。勝った瞬間、やはりずっと大関復帰のことが頭にあったので、ホッとしました」

と万感の思いに身を委ね、しばらく天井を仰いだままだった。1場所で大関復帰を決めたのは史上3人目。場所前から注目されていただけに、取組後、NHKから殊勲インタビューを申し込まれたが、

「勘弁してください」

ときっぱり拒否した。その理由を、

「三賞をもらったわけではないので」

と話している。力が落ちて大関から落ちたワケじゃない、元に戻ったぐらいで浮かれてはいられない、という武双山のプライドが言わせた言葉だった。

金星獲得数「16」の史上最多記録を持つ安芸乃島(元関脇、現高田川親方)も引退する7年も前から、

「横綱に勝ったときだけにしてほしい」

とNHKに申し入れ、それ以外の殊勲インタビューはすべて拒否した。

「自分も大関に上がる気でいましたから。大関に勝ったからって、別にインタビューはいらないだろうと思ったんです。でも、横綱は別格ですから」

これまた、力は大関級と言われた安芸乃島の意地が滲み出た言葉だった。

月刊『相撲』平成24年6月号掲載

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