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2023-10-31

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第20回「拒否(ノー)」その3

白鵬の初めての本場所での横綱土俵入り。日馬富士(当時安馬)が太刀持ちを断ったため、兄弟子の安美錦(現安治川親方)が代わって務めた

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“生き馬の目を抜く”というなんともおどろおどろしい表現がありますが、そんな油断もスキもない勝負の世界で生き抜くのは大変なことです。
中途半端な気持ちは、まずダメ。
時には、たとえ周りがなんと言おうと、嫌なことには嫌、ときっぱりクビを横に振って拒否する意地と勇気が必要です。
もっとも、拒否の仕方、方法も色々、様々。
ノーが通りにくい世界で、どうしてあのとき、あの力士はノーと言ったのか。
これはそんなエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

男の意地

平成24(2012)年夏場所で、もう28場所も新しい横綱が誕生していない。翌場所も昇進力士が出ないのはすでに決定的で、いよいよ誕生ブランクの史上最長タイ記録になる(当時)。

直近の新横綱は、平成19年夏場所後に昇進を決めた白鵬(現宮城野親方)だった。この白鵬が初めて不知火型の土俵入りを披露するとき、日馬富士(当時安馬)に太刀持ちを依頼した。

ともにモンゴル出身。年齢は日馬富士が1歳上で、初土俵も1場所早いが、同じ立浪一門ということもあって入門当初から一緒に稽古し、番付も競り合ってきた。いわゆる気心の知れた仲で、きっと喜んで引き受けてくれると思ったのだ。当時、日馬富士は関脇だった。

ところが、日馬富士は、

「いや、やりません。自分も大関になりますから」

と憤然とした表情でこの依頼を拒否した。露払い、太刀持ちは三役以下の力士が中心で、大関になるとよほどのことがない限りやらない。日馬富士もライバルの白鵬が横綱になったことで負けん気に火がつき、そんなこと、やってられるか、と思ったのである。

これを聞いた師匠の伊勢ケ濱親方(当時安治川親方、元横綱旭富士)は、

「アイツは礼を知らない」

と呆れ、恐縮した。それから1年半後の平成20年九州場所、日馬富士は白鵬との優勝決定戦で負けたが、このときの言葉どおり、大関に昇進した。当時の体重は幕内最軽量の129キロ。その小さな体には負けん気がいっぱい詰まっていた。

月刊『相撲』平成24年6月号掲載

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