「長い棒と短い棒、支え合ったら人になる」。
そんなCMがありました。
土俵が沸くのは、ただ勝ち負けの競り合いだけでなく、人と人、人間と人間のさまざまな感情が交錯し、思惑が絡み、この勝負の裏のなんとも言えない人間臭さが見ている者を魅了するからです。
相撲の醍醐味、おもしろさと言っていいでしょう。
人と言ってもいろいろ。人間臭さもいろいろ。
これは「人」という文字にこだわったエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。
人違いじゃない!勝負に、勝つ者がいれば、負ける者も必ずいる。負けたからといって、決して落胆したり、投げやりになることはない。負けは次の勝負の貴重な肥やし。これに発奮して新たな飛躍につなげた者は少なくない。
白鵬に抜かれるまで史上最多の32回の優勝を果たした大鵬。その最後の優勝は昭和46(1971)年初場所だ。千秋楽、1差で先頭を走る横綱玉の海を本割、優勝決定戦と相次いで破り、逆転優勝した。
絶大な人気を誇った当時20歳の小結、貴乃花(のち横綱)の父、貴ノ花(のちに大関)は5日目、大鵬に掬い投げで敗れたとき、左足を痛めて途中休場している。当時、この将来性豊かな若手のホープをいかにみんなが盛りたて、一人前に育てようとしていたか。この右足を負傷した直後、大鵬はわざわざ貴ノ花のところに足を運び、
「すまなかった。大丈夫か」
と詫びていることでも分かる。また、その頃の横綱はいかに偉大で、近寄りがたい存在だったか。11日目、この大鵬に張り手を浴びせ、押し出して唯一の黒星をつけた大関琴櫻(のちに横綱、先代佐渡ケ嶽親方)は取組後、
「大変申し訳ありませんでした」
と深々と謝罪している。上下を問わず、張り手、張り差しが日常化している現在ではとても考えられないことだ。
さて、大鵬の優勝で幕を閉じた千秋楽の午前2時頃、打ち上げで銀座まで繰り出した貴ノ花は、タクシーで神宮外苑を通りかかった。辺りに人の気配はなく、ところどころに街灯だけがボンヤリと立っている。そんな中、一人の大きな男が黙々とランニングしている姿が闇の中から浮かび上がった。タクシーの窓越しに何気なくその男を見た貴ノ花は、
「エッ、人違いじゃないか」
と思わず目をこすった。そして、タクシーの運転手と2人がかりで改めて見直し、
「間違いないな」
「はい、間違いありません」
と確認し合った。それはつい8時間前、大鵬に敗れて優勝を逃した玉の海だった。悔しさを胸に、早くもこうして次の場所に向けてスタートを切っていたのだ。この玉の海のただならぬ姿を垣間見た貴ノ花は、
「ああ、オレはなんてバカなんだろう。横綱があんなに努力しているのに、こんな時間まで酒を食らって」
と深く反省したという。
次の春場所千秋楽、再び玉の海が1敗、大鵬が1差の2敗で対戦した。しかし、今度は玉の海が右四つから完勝して優勝し、前場所の雪辱を果たした。先んずれば、人を制す。負けて覚える相撲かな。深夜のランニングが実を結んだのだ。この玉の海に啓発され、稽古に励んだ貴ノ花も9勝6敗と勝ち越し、初の技能賞を獲得した。
月刊『相撲』平成24年7月号掲載