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2023-12-29

アントニオ猪木が“死神”と運命の出会い【週刊プロレス昔話】

猪木はNWF王座をめぐってパワーズとライバル抗争を繰り広げた(写真は1977年3月31日、蔵前国技館のNWF選手権)

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アントニオ猪木の全盛期を象徴するベルトがNWFヘビー級王座だ。もともとNWFヘビー級王座はアメリカ・ニューヨーク州バッファローで誕生。アメリカで3大メジャー(NWA、AWA、WWWF)が勢力を誇っていた1971年、NWFという「第4団体」が新設された。

初代NWFヘビー級王者は“死神”ジョニー・パワーズ。NWFの共同経営者、エース、外国人招聘係、プロモーターを兼ねる野心家で、順調にマーケットを拡大していった。

このNWF王座に目をつけたのが、新日本プロレス設立2年目の猪木だった。パワーズは1943年3月20日生まれ、猪木は同年2月20日生まれと誕生日がわずか1カ月しか違わない。

ともに新興団体を率いてメジャー団体に闘いを挑み、成功を夢見る反骨精神にあふれる野心家。2人は出会うべくして出会ったとしか思えない運命にあった。

1973年12月10日、東京体育館において猪木はパワーズを卍固めで下し、NWF王座奪取に成功。その後、猪木はストロング小林戦、大木金太郎戦、ビル・ロビンソン戦など歴史的名勝負を連発。パワーズが生んだ反骨の王座は、猪木の手によって不滅の名王座と化した。

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