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2025-02-07

【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第26回「ミステイク」その4

平成28年夏場所13日目、白鵬と稀勢の里の取組中、式守伊之助の右足の草履が脱げて、稀勢の里の両足の間に取り残された

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春は、うっかり、が多い季節でもあります。
そう、物忘れ、言い間違い、取り間違いなどなどです。
日々、真剣勝負の大相撲界でも、緊張のあまりでしょうか。
意外にこのうっかりが多いんです。
もっとも、こちらは季節に関係ありませんが。
そんな、いけねえ、やっちまったよ、と頭をかきたくなる失敗談を集めました。
ま、笑ってやってください。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

草履が脱げた

力士と同じように、呼出しや行司にも厳格な階級があり、早く上に上がりたい、という思いは一緒だ。ご存じですよね。行司は、身につけている装束を見れば階級がわかる。たとえば、土俵の上でも白足袋、草履を履けるのはトップクラスの三役格以上だ。行司の卵たちは、

「ああ、早く草履を履けるようになりたい」
 
と思って日夜、辛い修行に励むのだ。
 
平成28(2016)年夏場所は終盤まで横綱白鵬、綱取りが懸かった稀勢の里の2人が全勝で並走し、異常に盛り上がった場所だった。それが最高潮に達したのは13日目。この両者が負け知らずのまま、激突したのだ。勝った方が優勝に大きく近づき、とりわけ稀勢の里にとっては横綱が現実のものとなる全勝対決。これをさばいたのが立行司の第40代式守伊之助。これまた、行司冥利に尽きる大一番だった。
 
制限時間がいっぱいとなり、伊之助が軍配を返すと、両力士は立ち上がり、左四つがっぷりに組み合った。稀勢の里の得意の体勢だ。取組後、白鵬は、

「勝つなら勝ってみい。それで横綱になるならなってみい、という感じだった」
 
と話し、あえて相手十分の左四つになったことを明かしている。しかし、勝負の女神は、非情にも稀勢の里に背を向けた。白鵬が土俵を半周しながら下手投げを連発。最後は左手で頭を抑えて大きく転がしたのだ。
 
この立ち上がって左四つに組み合ったとき、伊之助は両力士にぶつからないように西から向こう正面に素早く回り込んだ。熟練の動きだった。ところが、なんたることか、その回り込む途中に右足の草履がスルリと抜け落ちてしまったのだ。やはりどこかに余計な力が入っていたのかもしれない。取り返しのつかない失敗だ。

「いけねえ、ミスった」
 
と頭をかき、履き直すワケにはいかない。
 
伊之助が内心冷や汗をかいていると、偶然か、それとも恣意的か、白鵬が足早に動きながら、寂しそうに置き去りになっていた草履をポンと蹴飛ばした。それがまた、間のいいことに、ちょうど伊之助の目の前に飛んできた。さあ、お履きください、と言わんばかりのところだ。
 
すると伊之助は、両力士の動きを目で追いながら、まるで右足先にも目がついているように器用に履き直すハイレベルのテクニックを披露。何ごともなかったような涼しい顔で、この大勝負を制した白鵬に高々と軍配を上げた。この白鵬の快勝と、伊之助の見事な草履履きの妙に館内から大きな拍手が送られたのは言うまでもない。緊張した顔で花道をさがってきた伊之助は、

「変なところで草履が脱げた。それに力士がつまづいたりしたら大変でした。何ごともなく収めることができてホッとしました」
 
と胸をなでおろしていた。

月刊『相撲』令和3年5月号掲載

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