土俵下で勝負を見極める役割の親方衆は、昭和43(1978)年の組織改革からほかのスポーツ競技と同じように「審判委員」と呼ばれるようになったが、昔から長く「勝負検査役」と呼ばれていた。勝負判定の正確さを吟味するという意味を含めて、この言葉に大きな意義と貫禄を感じている。
※写真上=相撲史に残る物言い相撲となった昭和47年初場所8日目の北の富士―貴ノ花戦で、分かれた意見を裁く春日野審判部長(元横綱栃錦)。プロならではの「勝負検査役」の本領が発揮された場面である
写真:月刊相撲
長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。
私が入門(昭和37年)したころは、まさにその「勝負検査役」時代。行司に「あの人は勝負の見方が本当にうまい」と言わせる人がいた。その中でも、評判の高かったのが元小結巴潟の友綱親方と元小結宮錦の芝田山親方だ。
このお二人は、とにかく真剣に、油断なく、そして的確に相撲を見ていた。現役時代、肌身で学んだ大相撲の生理と勘所を知り尽くしているから、指摘するポイントも明快で、説明するも言葉も理路整然としていた。だから「両者同時と見て取直し」ということもほとんどなかった。要するに必ず勝負の見極めがきちんとできていたのだ。
物言い協議となったときには、「流れからいってもこっちの力士の体がなかったよ」と「正解」を言いながら土俵に上っていたものだ。
相撲協会は、どのプロスポーツ競技よりも、世界に先駆けて判定の参考にビデオを採用した組織だが、その根底には、勝負の種々相を知り尽くした判定のプロならではの裏付けと自信、そして責任がある。
ところで、日本の伝統がはぐくみ磨き抜いてきた相撲は、勝ち負け以前に、正々堂々と、美しく、潔く取るところに真骨頂がある。そこには相手の人格を重んじることはもちろん、激しく競ってもケガをさせないようにするという心配りも含まれている。
ところで、日本の伝統がはぐくみ磨き抜いてきた相撲は、勝ち負け以前に、正々堂々と、美しく、潔く取るところに真骨頂がある。そこには相手の人格を重んじることはもちろん、激しく競ってもケガをさせないようにするという心配りも含まれている。
そういった意味で、私がよく例に挙げるのは、47年初場所中日の、あの横綱北の富士と関脇貴ノ花の、『つき手』か『かばい手』かで日本全国が揺れた一戦である。
いまあの勝負を裁くとしたら、アマチュアの判定だったら驚異的な反り腰を見せた貴ノ花の勝ちとなるだろう。一方、審判の意見も分かれるだろうが、審判長が、北の富士の『かばい手』と結論したところがプロの判定なのだと。
あのとき右外掛けでのしかかった北の富士は、土俵中央で勢いも手伝ってそのまま貴ノ花の腹の上に馬乗りになる形になった(一瞬、危ない!と多くの人が感じた)。だが、そこから貴ノ花は驚異の足腰で大きく反りながら左へ捻ったのだ。北の富士は思わず右手を伸ばす。そして両者はそのまま東土俵に倒れ込んだ(当然北の富士の右手が先についた)。この勝負を裁いていた25代の庄之助親方は、貴ノ花の体(たい)は生きていたとして、貴ノ花に軍配を挙げた。しかし物言い協議を経て、春日野審判部長は「勝負検査役」としての見識により、『かばい手』と断を下し、北の富士の勝ちとしたのだった(協会の決まり手は「浴びせ倒し」と発表されている)。
どちらが先に土についたというだけで勝負は決まらない。細かいところまできちんと吟味したうえで結論を出すのが『勝負検査役』の伝統というものなのである。
語り部=内田順一(35代木村庄之助)
月刊『相撲』平成30年7月号掲載
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