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2021-07-29

【東京五輪・陸上】再録:田中希実×田中健智コーチ対談「ぶつかり合い高め合う親子独自の距離感」

 2019年以降、父・健智コーチとともにオリンピックロードを歩んできた田中

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7月30日に東京五輪女子5000m予選に登場する田中希実(豊田自動織機TC)。今大会では日本勢として初めて1500mへの出場権も獲得したが、父でありコーチでもある田中健智コーチとの対談を再録する。(構成/寺田辰朗)※この記事は「陸上競技マガジン」2021年4月に掲載された記事に加筆修正を加えたものです。

小学校から高校時代まで

――田中選手が田中コーチの指導を受けるようになったのは、高校を卒業して2年目、所属クラブを変更した2019年です。選手とコーチの関係になったときに、何か決めごとをつくったのでしょうか。

健智 親子なのですが、親子のようには接したくない、と思いました。特に対外的、人に見られる場面では節度を持って、選手とコーチという間柄を守りたい。そういう接し方で取り組みたいと、常々言っていました。

――指導を始めた当初、練習内容はどのような考え方で立てていたのですか。

健智 中学、高校とメンタル的なことをアドバイスすることはありましたが、練習メニューは顧問の先生にお任せしていましたし、細かいところまでは聞いていません。ですので、それまでの希実の取り組みをゼロベースにして、私の考え方で練習プランを組み始めました。2週間単位で練習を組み立てて選手に提示していましたが、選手の体調や気象状況などでアレンジしたい部分は、話し合って折り合いをつけるやり方です。選手も納得でき、私も納得できる部分を探ってやっていました。

希実 最初は、手探りのところから始まりました。ただ、今日から父がコーチです、と始まったわけではなく、徐々に今の形になってきたので、戸惑いはありませんでしたね。走ることに変わりはありませんし、カルチャーショックを受けるくらいにメニューが変わった、という印象はありませんでした。小中学生の頃には父が考えた母の練習を見ていたので、最初は小学生の頃に戻ったような感覚だったかもしれません。

田中は地元の兵庫県小野市の陸上競技場を主な練習拠点に活動。故郷の応援を受け、オリンピック代表内定を勝ち取った
田中は地元の兵庫県小野市の陸上競技場を主な練習拠点に活動。故郷の応援を受け、オリンピック代表内定を勝ち取った

――中学、高校の頃は陸上競技について、どんな話をしていましたか。

希実 その頃の私は、家では陸上競技の話はしませんでした。それでも試合前の不安や、試合後の悔しさを口にしてしまうことはありました。そういうとき、技術的なアドバイスではなく、こういう考え方をした方がいい、というアドバイスを父からもらっていました。父は私の雰囲気や、たまに家で行っていた練習を見て、どのくらいで走れるか、的確に予想していたんです。コーチでなくても、陸上競技の感覚は共有できていました。

健智 日々の状態は近いところで見ていたので、練習代わりのレースもあったと思いますが、試合結果をしっかり見ていけば、本人の力、今の状態などはだいたい把握できました。あと、顧問の先生のご理解もあり、夏休みの1週間から10日間くらいは家内(千洋さん。北海道マラソン優勝2回)の合宿に希実も参加していました。短期間でも練習を任せていただいていたので、私がコーチになっても、希実はスムーズに受け入れられたのでしょう。

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