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2021-11-01

プロレスの本場アメリカで待っていた“ゴッチ教室”…藤波辰爾が語る海外武者修行時代<3>【週刊プロレス】

カール・ゴッチ

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 西ドイツで海外武者修行の第一段階を終えた藤波辰爾は大西洋を越えてアメリカに渡る。いよいよプロレスの本場に足を踏み入れたわけだが、すぐにサーキットに入ったわけではなかった。そこに待っていたのはカール・ゴッチ。木戸修とともに“神様”に入門。そこでプロレスラーとしての心構えを徹底的に教え込まれた。
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 西ドイツの後はアメリカに渡り、ミッドアトランティック地区をサーキットした藤波だが、その前にフロリダ州タンパのカール・ゴッチの下でトレーニングを積んでいる。その経緯は……。

「ドイツは長かった方なんだけど、海外へ行くとだいたい半年ぐらいで選手の入れ替えがあって、プロモーターから『君はそろそろここでは終わりだから、次に行く場所を探しなさい』って言われるんです。

 日本から『次はここに行きなさい』っていうのもなくて。当時、新日本には海外担当とかいなくて、僕がそういう時期を迎えてるっていうのも知らなかったでしょうね。僕は僕なりに、どこへ行けばいいのか考えて。

 そう言われてすぐにカール・ゴッチに連絡したら、『フロリダに来なさい』って。それでフロリダに渡ったんだけど、今度は『アメリカで試合できる場所が見つかるまで、ここで練習しなさい』って。それでまた修行が始まった」

 日本プロレス時代、“ゴッチ教室”で若手をコーチしていた。アントニオ猪木がその生徒だったのは有名だが、ほかにも戸口正徳(キム・ドク)やサムソン・クツワダ、安達勝治(ミスター・ヒト)などが指導を受けている。それがタンパで復活した形。ゴッチの下で練習漬けの日々を過ごしていたところで一足先に木戸修に帰国命令が下った。

「僕がゴッチさんのところにいたのは半年間。途中で猪木さんのパートナーということで木戸さんが日本に帰ったんです。その時はなんか取り残された気持ちになりましたね。寂しくてねぇ……。

 修行どうこうより里心っていうか、ホームシックになって。それと半分は、“なんで自分には声がかからないんだろう?”っていう嫉妬心っていうかね。カール・ゴッチの自宅に住み込んで、もう朝から晩までマンツーマンで練習。

 カール・ゴッチの門下生はたくさんいたけど、自宅に泊まって練習したのは僕だけじゃないかな。ほかのみんなは近くにアパート借りて1~2週間、練習してきた人はいっぱいいるけどね。あとで考えたら、それが自分にはいい方向になったよ」

 藤波辰爾から見たカール・ゴッチとは?

「古い考えっていうか、融通が利かない。『こうした方がいいんじゃないですか?』と言っても聞く耳を持たない。むしろそう言われると、あえて遠回りするような人。レスリングのことしか頭にない」

 必然的に藤波さんもレスリング漬けになっていった。

「特にレスリングのことに関しては真剣だった。プロレスの本場であるアメリカにながら、プロレスの番組をやっててもチャンネルを合わそうとしない。逆に『こんなもの見なくていい。こんなの見たらお前のレスリングはおかしくなる』って。

 そのかわり基礎体力作りの運動とかいろんなトレーニング法を考えたりで。レスラーはこうあるべきだ、こういう練習をするべきだっていうのを教育される。当時は日本のプロレス雑誌もまだ週刊じゃなくて月刊でね。新日本の事務所が気を遣ってか『プロレス&ボクシング』(ベースボール・マガジン社)がたまに送られてくるんだけど、届くなりカール・ゴッチにその本を全部没収されて。『こんなもの見なくていい』って」

(つづく)

橋爪哲也

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