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2022-04-20

ハルク・ホーガンvsグレート・ムタなど夢の対決が並んだ福岡ドーム初進出…新日本プロレス歴史街道50年(40)【週刊プロレス】

ハルク・ホーガンvsグレート・ムタ

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 新日本プロレスは来たるゴールデンウイークに21年ぶりに福岡ドーム(現PayPayドーム)に帰る。どんたくの時期に合わせた福岡大会開催は好例になっているが、それを定着させたのが福岡ドーム初進出となった1993年だった。東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、所沢と6球団がドーム球場を本拠地にしており、そのいずれでも大会を開催してきた新日本だが、福岡は東京に続いて進出したのに加え、開催数も過去6回と東京に次いで多い。ここでは過去の福岡ドーム大会を振り返る。

 1988年、南海ホークスがダイエーに身売り。それに伴って本拠地を九州・福岡に移した。当初はかつて西鉄ライオンズが本拠にしていた平和台球場をホームとしていたが、1993年シーズンから日本初の開閉ドームとして誕生した福岡ドームを本拠にしてペナントを争うことに。それに合わせて新日本も、プロレス団体としては初めて福岡ドームに進出した。

 闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)がトップとして人気も定着。興行面でも「G1クライマックス」をはじめとするビッグマッチも次々と成功させて、上り調子の時期だった。ゴールデンウイークは「博多どんたく」が開催されて人が集まる時期。“プロレス版どんたく”とのことから「レスリングどんたく」と大会名がつけられた。

 とはいえ地方都市で5万人クラスの大会場に進出するのはプロレス史上初。それだけに手探り状態。担当に指名されたのは菅林直樹現会長。ステッカーなどの販売促進グッズなども作製して、営業活動は九州全域に及んだ。出足は順調だったが、東京ドームに初進出した時の「世界初のソ連人プロレスラー参戦」といった大会全体を包む込むようなテーマはなかったこともあって、なかなか前売りは伸びず。メインイベントに出場する4選手(アントニオ猪木、藤波辰爾、長州力、天龍源一郎)が出席して福岡ドーム前でカード発表会見を開くなど、プロモーションも積極的におこなった。

 大きな目玉となったのがハルク・ホーガン8年ぶりの新日本参戦。ちょうどWWF(当時)との契約が切れてフリーになったタイミング。AWA時代に抗争を繰り広げたマサ・サイトーのラインからコンタクト。グレート・ムタを対戦相手に用意して、米2大団体の代理戦争ともいえるドリームマッチが福岡の地で実現した。

 それ以外にもヘルレイザーズvs橋本&蝶野、3代目タイガーマスク(金本浩二)vs獣神サンダー・ライガー、スティングvsスコット・ノートンといった夢の対決を並べて“お祭りムード”を盛り上げた。

 当時、ダイエーホークスのホームゲームでは雨天の試合を除いて勝利の瞬間、花火を打ち上げて祝福する演出がなされていた。初の「レスリングどんたく」ではその逆で、試合開始前には屋根は開かれていて太陽の光が差し込んでいたが、試合開始20分前から扉を閉め始め、ちょうど屋根が閉じて暗転した瞬間に試合開始となる演出を取り入れた。ちなみにその費用(当時で約200万円)は福岡ドーム側からのサービスだったという。

 結果、主催者発表で5万5000人を集めて大成功。翌年につなげていった。
(つづく)

橋爪哲也

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