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2024-07-02

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第25回「言い分」その4

平成20年秋場所14日目、取組後に突如、引退を表明。翌日の千秋楽で記者会見を開いた玉春日(左は師匠の片男波親方=元関脇玉ノ富士)

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人の気持ちほど、分かりにくいものはありませんよね。
「なんでこんなことをするの」
と首をひねりたくなる出来事に遭遇したことはありませんか。
でも、それにはそれなりの理由があるもの。
あとで、それが分かり、なるほど、そういうことだったのか、
と合点がいくことがよくあります。
力士たちも、よく予想外の言動をしますが、
それにはそれなりの言い分があってこそ。
そんな言い分にまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

力士の覚悟

有終の美の飾り方もさまざまだ。平成20(2008)年秋場所、西十両2枚目の玉春日(現片男波親方)は13日目、磋牙司に押し出されて5勝8敗と負け越しが決定。翌14日目、猛虎浪を引き落として勝ち、6勝8敗となったところで引退を決意した。
 
「もう明日(千秋楽)は取らないので、割から抜いてください」

と、審判部に伝えたため、場所途中にもかかわらず、異例の不戦敗がつかない引退となった。どうして玉春日はこんな場所を1日残しての引退となったのか。千秋楽に慌ただしく引退会見した玉春日はその理由を、

「場所前から、結果が出なければ今場所限りで引退する、と決めていたんです。結論は1日延ばすかたちになりましたが、13日目の相撲で、立ち合いに当たれなかったし、(攻め込まれたところで)残せなかった。自分の相撲がまったく取れなかったので、もうここが辞めどきだ、と判断しました。最後の相撲はなんとか勝ちましたが、相撲は結果だけではありませんから。この相撲道に対する気持ちだけはキチンと後輩たちに伝えていきたい」

と語った。

自分の相撲に対するプライドも、引退を決断する立派な理由になるのだ。平成22年9月、玉春日は先代から部屋を継承して「楯山」から「片男波」に変更。その熱い相撲道の伝授に当たっている。

月刊『相撲』平成24年11月号掲載

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