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2021-09-30

【陸上】恩師・渡辺康幸氏が語る大迫傑のラストレースとこれまでの道のり

100%出しきったと言い切るレースで東京五輪6位に入った大迫

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身を削り続けたからこその決断

 大迫が東京五輪を現役最後のレースにすると公表したのは、レースの11日前、陸上競技が始まる前日の7月29日のことだった。発表は突然だったものの、大きな決断のなかには、大迫自身にしか分かり得ないものがあったはずである。大迫はなぜ、東京五輪を選手としての区切りにしたのか。

渡辺 大迫選手らしい決断だったと思います。若いうちからトラックでスピードを磨いて、20代中盤からマラソンに転向していったわけですが、大学卒業後に世界で戦うことを本格的に意識して取り組んできたこの8年間は駆け足で過ぎ去っていった印象です。大迫選手からすれば、そのなかであらゆることをやり尽くした、打つ手は全部打ったからこそ、東京五輪を集大成としてとらえ、確かな形として残したい。そういう気持ちがあったのだと思います。

 ここまで戦えたんだから3年後のパリ五輪を目指してほしい、パリのときはまだ33歳じゃないか、と期待する意見もあるでしょう。私自身だってもっと見てみたいという思いはあります。ただ、本人が一番現状と力を理解していたのではないでしょうか。


身を削り続けたからこそ、どこかで区切りをつけたかったという

 30歳を超えると今までと同じように成長できるとは限りません。それ以前にこれまで毎年毎年身を削りながら競技に真摯に向き合ってきた日々は、想像を超える厳しさがあったと思います。後で触れますが、大迫選手の競技に対する姿勢は、私が知る限りでは誰よりも厳しい。自分自身を究極に追い込んできたからこそ、東京五輪をゴールにしたのではないでしょうか。

 また、今回、1年延期しただけで勢力図は変わったわけです。残念ながら男女ともに一発勝負のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2019年9月開催の東京五輪マラソン日本代表選考会)で出場権を得た選手が良い状態でレースに臨めなかったですし、2月には大迫選手が持っていた日本記録を鈴木健吾選手(富士通)に塗り替えられました。3年もあれば、新たな若手も出てくる。そういう意味での厳しさも想定していたと思います。

 これは私見ですが、彼の美学として、ボロボロになって引退というのは、恰好悪いと思っていたのではないでしょうか。彼自身、すでに若手のトップランナーを育成するプロジェクトも進めているように、セカンドキャリアでも影響力を発揮できるよう、良い形で終わりたいと考えていた部分もあると思います。

構成/牧野 豊 写真/椛本結城、BBM、JMPA

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