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2020-04-17

【System of Arthur Lydiard vol.12】国境も時も人も越えて今なお、息づく。それはまさに「リディアードの真髄」

数値は違えど本質は不変

 中村、小出両監督から指導を受け、また私と同様にニュージーランドまでリディアード本人を追いかけて行った珍しい日本人がいます。

 三井住友海上女子陸上部の元監督、渡辺重治氏です。彼には、土佐礼子や渋井陽子を国内トップランナーへと育てあげた実績もあり、まだまだこの先も期待できる若手指導者の一人です。

「小松(美冬)さんが訳された『リディアードのランニング・バイブル』の中で、『やり過ぎるよりも少し足りないくらいのほうがまだましだ』という一文を読んで『これだ!』と思いました」(渡辺氏)。ここでも、リディアードの真髄が垣間見えます。

 92年のバルセロナ五輪、モンジュイックの丘でロレイン・モラー(銅メダル=ニュージーランド)と、しのぎを削った日本女子選手(4位)といえば、第一生命の山下佐知子(現監督)ですね。彼女も、リディアードに興味を抱かれている一人です。ボルダーで開いた「リディアード・コーチ承認クリニック」に、同地で合宿中だった山下監督が顔を出してくれたことがありました。

 また、陸上競技界を越えてすっかり有名人となっている青山学院大学の原晋監督も、リディアード信奉者の一人だと聞いています。このように「リディアードの真髄」は、日本のトップクラスの指導者の間で連綿と脈打っています。

 小出監督は「距離やペースは違いますが」と、但し書きをされていました。理由はこうです。「リディアードは、中距離選手に160㎞走らせて、ラスト200mを全力疾走できるようにしました。私は、マラソン選手に320㎞走らせることで、ラストの5㎞が全力疾走できるようにしているんです」と。つまり、数字は異なるが「真髄」は変わりなし、ということです。逆に言うと、この「真髄」さえ把握すれば、同じシステムを初心者にも、4時間半のマラソンランナーにも応用させることができる、ということです。

 これまで1年間の連載を通じて、その「リディアードの真髄」をみなさんにお伝えすることができたならば、幸いです。

アーサー・リディアード
1917年ニュージーランド生まれ。2004年12月にアメリカでのランニングクリニック中に急逝。50年代中頃、「リディアード方式」と呼ばれる独自のトレーニング方法を確立した。その方法で指導した選手が、60年ローマ五輪と64年東京五輪で大活躍。心臓病のリハビリに走ることを導入した、ジョギングの生みの親でもある。

筆者/橋爪伸也(はしづめ・のぶや)
三重県津市出身。1980年からアーサー・リディアードに師事。日立陸上部の初代コーチを経て、バルセロナ五輪銅メダリストのロレイン・モラーと「リディアード・ファウンデーション」を設立。2004年以降はリディアード法トレーニングの普及に努めている。現在は米国ミネソタ州に在住。

ランニングマガジン・クリール 2020年5月号

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