相撲編集部
相撲編集部
2019-10-22
私の“奇跡の一枚” 連載38 行司人生50年 木村玉光感謝の『千秋楽』
百人百様。人間に運、不運がつきものでも、それぞれに与えられた人生の尊さは変わらない。私はそここそ平凡な行司だったが、49年11カ月間なんとかそれを通したからこそ、通させてもらったからこそ、穏やかな今...
2019-10-18
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・舛田山昇茂編 一番一番を大切に取り切ってプロに変身……――[その2]
足が完治した後、舛田山は、この力士の趣味としては非常に珍しいレース鳩の飼育を本当に始めている。 ※写真上=昭和55年九州場所、横綱若乃花から金星を挙げ、初の殊勲賞に輝く(前列右)。左は敢闘賞の佐田の...
2019-10-15
私の“奇跡の一枚” 連載37 太鼓櫓が手作りだった時代
寒い夜空に緑の大屋根が浮かび上がるなか、すっくと立った櫓の上からテンテンバラバラと軽快に打ち出される太鼓の音に乗って、『満員御礼』のお客さんたちが散っていく――。打ち出しの風景はどの場所で見てもいい...
2019-10-11
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・舛田山茂編 一番一番を大切に取り切ってプロに変身……――[その1]
窓の外は、やけどしそうな8月の暑い陽の光がいっぱいにはじけている。今ごろ、故郷の青くひんやりとした能登の海辺は、自分の子どものときと同じように、黄色い歓声がこだましているに違いない。 ※写真上=当時...
2019-10-08
私の“奇跡の一枚” 連載36 栃錦の母校愛を天下に示した「寄進相撲」
江戸っ子横綱栃錦――角界のみならず戦後日本のスーパースターである。半世紀にわたる私の行司人生で、その人間の大きさ、カッコよさ、豪快さ、きっぷよさ、優しさ等で、これほど「力士」というものを感じさせた人...
2019-10-04
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・出羽の花義貴編 あの幕下落ちの屈辱があったればこそ……――[その3]
出羽の花が入門した昭和49(1974)年の大相撲界は、怪童と言われた北の湖がグイグイと頭角を現し始めたときだったが、人気番付では、大関貴ノ花がダントツだった。貴ノ花の周りは熱狂的な相撲ファンや、ギャ...
2019-10-01
私の“奇跡の一枚” 連載35 奇跡の「引き分け勝負」を目撃
私はニュージーランド生まれ。父親の仕事関係で、母と兄と一緒に来日したのは昭和36(1961)年1月7日、5歳のときだった。来日間もないころから相撲をテレビでよく見、家族4人で相撲ファンとなった。 ※...
2019-09-27
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・出羽の花義貴編 あの幕下落ちの屈辱があったればこそ……――[その2]
こんなふうに、会心の相撲を取ることで自信をふくらませ、階段を上がっていく「陽」の力士もいれば、地面にたたき付けられ、血を吐く思いをすることによって自分を叱咤し、だんだん脱皮していく「陰」の力士もいる...
2019-09-24
『相撲』10月号 9月26日(木)発売!
2横綱不在の秋場所、貴景勝との関脇同士の優勝決定戦を制した御嶽海が7場所ぶり2度目の優勝を飾った。本誌では、全15日間の熱戦グラフ+支度部屋マイクで熱戦の振り返り、優勝、三賞力士、新昇進力士、各段...
2019-09-24
私の“奇跡の一枚” 連載34 “ホラ吹き”金剛のあのひと吠え
昭和50(1975)年、名古屋には二所ノ関旋風が吹いていました。横綱輪島は全休、北の湖も9勝6敗、人気大関の貴ノ花も途中休場と精彩を欠き、大荒れの場所。その優勝争いの先頭が、なんと前頭筆頭の金剛と青...
2019-09-22
相撲編集部が選ぶ秋場所千数楽の一番 優勝決定戦 御嶽海(寄り切り)貴景勝
千秋楽を迎え、3敗の御嶽海、貴景勝、隠岐の海の3人に優勝が絞られた。 ※写真上=史上初の関脇同士の優勝決定戦を制し、2度目の優勝を果たした御嶽海写真:月刊相撲 まず、生き残りをかけて貴景勝と隠岐の海...