相撲編集部
相撲編集部
2019-05-03
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・麒麟児和春編 “頑張り方”の見本示した全力投球の土俵――[その1]
青々とした木の葉越しに見える空は、立秋が過ぎたとは名ばかりのまばゆい夏の光に満ちあふれている。今日もまた、30度を超えるのは時間の問題に違いない。 ※若々しい取り口で、横綱・大関を脅かし続けた麒麟児...
2019-04-30
私の“奇跡の一枚” 連載13 ヒゲの伊之助涙の抗議
テレビ時代を前に、昭和27年(1952)秋場所、相撲協会は伝統の四本柱を撤廃。NHK の本場所中継は28年夏場所から始まった。我が日本テレビもこれに遅れじと翌秋場所から中継を開始した。その後のテレビ...
2019-04-26
【連載 名力士たちの『開眼』】 横綱・旭富士正也編 捨て身になってかかった人間の強さ――[その3]
退院から間もなくの昭和61年(1986)名古屋場所初日、10連敗中の大乃国戦が目前に控えていた。しかし、ここであっさり兜を脱いでは永久に負け犬になる。せめてかなわぬまでも、一度ぐらいは大乃国にヒヤリ...
2019-04-23
私の“奇跡の一枚” 連載12 横綱の責任と男の心意気
毎年12月、二所ノ関一門では、親方・関取・関係者が揃って、一門の祖・玉錦の墓参り(墨田区本所吾妻橋・清雄寺)を行うのが恒例となっている。 ※写真上=若き双葉山の属する立浪部屋へ祝福に出かけた玉錦。負...
2019-04-19
【連載 名力士たちの『開眼』】 横綱・旭富士正也編 捨て身になってかかった人間の強さ――[その2]
この母の死から2場所後の昭和58年(1983)春場所、待望の入幕を果たした旭富士は、再び快調に番付を駆け上がり始めた。初めて小結に昇進したのは入幕して5場所目の九州場所。その翌場所、2日目の北天佑戦...
2019-04-16
私の“奇跡の一枚” 連載11 汗と涙の“世界遺産” 元中村部屋の鉄砲柱
幼いころから相撲好きだった私は、平成元年念願かなって、山形県は酒田から憧れの世界に身を置くようになった。それからというもの、呼出し生活を通して勝負の厳しさ、人情の機微、相撲文化の奥深さになど、憧れと...
2019-04-12
【連載 名力士たちの『開眼』】 横綱・旭富士正也編 捨て身になってかかった人間の強さ――[その1]
ゼーゼーと相手の激しい息づかいが耳を打つ。おそらく自分も相手の天剛山(木瀬)に負けないような荒い息をしているに違いない。でも、ここで音を上げると、2日前に亡くなったばかりの母が、あの世から意気地のな...
2019-04-09
私の“奇跡の一枚” 連載10 師弟の絆! 千代の山と北の富士
背の高さと、情熱だけで相撲部屋に押しかけ、入門を希望したものの、あっさり不合格。体つきから素質ゼロを見極められ、新弟子にもなれなかった男、それが若き日の私である。 ※写真上=昭和45年(1970)1...
2019-04-05
【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・前の山太郎編 若くして“限界”を知らざるを得なかった悲劇の大関――[その3]
好事魔多し、山の頂上は下りの始まり、というのはこのことを指すのに違いない。 ※写真上=昭和45年名古屋場所後、大関昇進を果たした絶頂期の前の山写真:月刊相撲 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成で...
2019-04-02
私の“奇跡の一枚” 連載9 北の富士関渾身の不知火型土俵入り
平成24年(2012)が大横綱双葉山の生誕100年に当たることから、前年12月、その出身地大分県の宇佐神宮で、横綱白鵬関が、双葉山関の型である雲龍型土俵入りを奉納して人々を感激させた。 ※写真上=こ...
2019-04-01
『相撲』4月号発売中!
平成最後の本場所、15回目の全勝でV42を飾った白鵬。貴景勝も10勝を挙げ大関に昇進しました。本誌では、全15日間の熱戦グラフ+支度部屋マイクで熱戦の振り返り、優勝、三賞力士、新昇進力士、各段優勝...