相撲編集部
相撲編集部
2019-06-21
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・逆鉾伸重編 屈辱こそは勝負の世界における飛躍の秘薬――[その2]
やんちゃで、向こう見ず。自分より輝いている者を見ると、無性にからみたくなる、というのが二男坊の“共通項”と言っていい。 ※写真上=昭和56年名古屋場所、兄の鶴ノ富士(当時鶴嶺山、右)とともに十両昇進...
2019-06-18
私の“奇跡の一枚” 連載20 二足のわらじ…歌手・増位山
粋なことが好きだった父(元大関増位山大志郎の先代三保ケ関親方)の影響もあって、私は子どものころから歌が大好きだった。小学校のバス旅行時などマイクを独占し、いつかは歌手になりたいと考えていた。 ※写真...
2019-06-14
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・逆鉾伸重編 屈辱こそは勝負の世界における飛躍の秘薬――[その1]
息をするのさえはばかられるような重苦しさに身をすくめながら、逆鉾(入門したときの四股名は本名の福薗。4年後の昭和57(1982)年夏場所、逆鉾に改名。ここでは便宜上、逆鉾で統一)は、じっと病室のドア...
2019-06-11
私の“奇跡の一枚” 連載19 豆行司・木村春芳
力士はもちろん行司の入門希望者は、現在、中学卒業からと当然のように定められている。しかし、戦前は徒弟制度で養成が行われていた江戸、明治の名残から、10歳にも満たない子ども行司や呼出しが存在した。俗に...
2019-06-07
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・金剛正裕編 二所ノ関復活に目覚めた“勝負師”――[その3]
今まで背後から照らしていて当然、と思っていた“七光”が急に消えると、どんなに寂しく、かつ惨めな気持ちになるものか。金剛が偉大な後ろ盾を失った空洞感を痛感したのは、昭和46(1971)年夏場所5日目の...
2019-06-04
私の“奇跡の一枚” 連載18 長谷川家創業者 呼出し勘太郎
私ども、いわゆるお茶屋の生き甲斐は、土俵上の熱戦に加え、国技館の相撲情緒を十分に味わったお客様が「今日は本当に楽しかった」と笑顔でお帰りになるお姿をお見送りするところにあります。 ※写真上=左から露...
2019-05-31
【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・金剛正裕編 二所ノ関復活に目覚めた“勝負師”――[その2]
今まで背後から照らしていて当然、と思っていた“七光”が急に消えると、どんなに寂しく、かつ惨めな気持ちになるものか。金剛が偉大な後ろ盾を失った空洞感を痛感したのは、昭和46(1971)年夏場所5日目の...
2019-05-29
『相撲』6月号 5月30日(木)発売!
令和最初の本場所、平幕朝乃山が初優勝。新大関貴景勝は右ヒザのケガで無念の休場、栃ノ心は10勝を挙げ大関に復帰しました。本誌では、全15日間の熱戦グラフ+支度部屋マイクで熱戦の振り返り、優勝、三賞力士...
2019-05-28
私の“奇跡の一枚” 連載17 “相棒”王湖が新十両のころ
世話人・王湖が平成25(2013)年4月24日、肺炎のため56歳の若さであの世に旅立ってしまった。 ※写真上=王湖が11年をかけての新十両デビューを控えた昭和56年春場所前。出稽古先の立浪部屋で、う...
2019-05-26
相撲編集部が選ぶ夏場所千秋楽の一番 松鳳山(上手投げ)炎鵬
千秋楽はアメリカのトランプ大統領が観戦するということで、国技館は超厳戒態勢。入場者は持ち物検査、金属探知機によるボディチェックを受けて入場した。 ※写真上=右大腿部を損傷し懸命な土俵を勤めるも、惜し...
2019-05-25
相撲編集部が選ぶ夏場所14日目の一番 朝乃山(寄り切り)豪栄道
再び単独トップに立ってしまった西前頭8枚目の朝乃山。11日目終了後に初めて単独トップに立ったときは、「鳥肌が立った」と言っていたが、2度目ともなれば、多少は落ち着いていられたか。 ※写真上=単独トッ...