相撲編集部
相撲編集部
2020-05-05
【私の“奇跡の一枚” 連載68】“南洋場所”事始め名古屋場所いいたい放題(昭和33年8月号再録)
暑い盛りの風物詩でもある7月本場所は、昭和40(1965)年より冷房完備の愛知県体育館で開催されているが、本場所に昇格した初期の33年からの7年間は、空調とは縁のない施設「金山体育館」で開催されて...
2020-05-01
【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・大麒麟将能編 相撲は理屈じゃないんだ――不完全燃焼の残り火[その3]
これも、一種の身の不幸といえる。20歳ジャストで十両になる、というのはそうそうできることではない。むしろ快挙の部類に入る。ところが大麒麟の十両昇進は、それほど脚光を浴びなかった。2つ年上の兄弟子に、...
2020-04-29
『相撲』5月号 5月1日(金)発売!
無観客開催となった春場所で大関取りに昇進した朝乃山。11勝4敗の成績を収め、正攻法の相撲内容、スケールの大きさが評価され、大関昇進が決まった。その朝乃山の一問一答をはじめ、新入幕琴勝峰、相撲界「家...
2020-04-28
【私の“奇跡の一枚” 連載67】 栃錦は決して立ち合いを 乱してなんかいない!
19世紀のフランスの天才詩人ジャン・コクトーは、日本を訪れた際、双葉山時代の国技館を訪れ、すっかり大相撲の世界に魅せられた。特にその立ち合いに共感し、世界的芸術家の感性をもって“バランスの奇跡!”と...
2020-04-24
【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・大麒麟将能編 相撲は理屈じゃないんだ――不完全燃焼の残り火[その2]
ところが、幕下に上がった途端、障害知らずだった軽やかな足どりに急ブレーキがかかった。現在ではほとんど見られなくなったが、おなかの中に寄生虫が発生する病気で、体がだんだんやせ細ってきたのである。このた...
2020-04-21
【私の“奇跡の一枚” 連載66】我が郷土室蘭のヒーロー 北葉山の凛々しきモミアゲ
あの大型柏鵬時代に、小さい体ながら独特の技能相撲で割って入り、トレードマークのモミアゲでも人気のあった時津風部屋の闘志の大関・北葉山は、我が北海道室蘭市の出身。 ※写真上=親方のご実家で撮らせて...
2020-04-17
【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・大麒麟将能編 相撲は理屈じゃないんだ――不完全燃焼の残り火[その1]
――行こうか、それともやっぱりやめようか。 ※写真上=麒麟児から大麒麟に改名後、大きく成長し大関の座をつかんだ写真:月刊相撲 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。 周りのライバルた...
2020-04-14
【私の“奇跡の一枚” 連載65】 横審“総見”稽古一般大公開まで
夏場所を前に、平成29(2017)年も5月3日「横綱審議会委員総見」の稽古が国技館アリーナの本土俵で行われ、1階のほぼ全席が埋まる熱気の中、一般に公開された(一時は年3回一般公開された時期もあったが...
2020-04-10
【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・清國勝雄編 残暑の厳しい稽古場で遭遇した人生の指針[その6]
“棚ぼた”の優勝だったが、次の秋場所に優勝か準優勝でもすれば、たちまち「横綱」の声が掛かる。周囲は一気に色めき立った。 ※写真上=昭和49年初場所、引退を発表。左は師匠・伊勢ケ濱親方(元横綱照國)写...
2020-04-07
【私の“奇跡の一枚” 連載64】 8代目出羽海親方の威厳と先見の明
平成29(2017)年春場所、NHK の大相撲中継で、北の富士さんが、今からちょうど50年前、九重部屋が出羽海部屋から独立した直後の、自身の初優勝について、育った部屋への感謝の言葉をしみじみと語って...
2020-04-03
【連載 名力士たちの『開眼』】 大関・清國勝雄編 残暑の厳しい稽古場で遭遇した人生の指針[その5]
物事には必ず光と影がある。表と裏、と言い替えてもいい。清國が力士生活最大の光を浴びたのは、昭和44(1969)年名古屋場所のことだった。この前の場所で清國は12勝し、大関昇進を果たしている。初土俵か...